全実作感想 その1

SF創作講座 10月実作の感想をうしろから「遠野よあけさんから、藤田青土さんまで」になります

敬称略

遠野よあけ 「空白・父・空白」

あ。ファーストコンタクトものかあ。そこの宇宙人や木製の描写は。とマンション停電で何度か階段を上り下りして火照った体で思う。ファーストコンタクト的な現象なのに妙に淡々とした報告書文体。でも、会話は静かな演劇っぽい香りがしてとても好きです。小説に寄らないのかなーと唸るも。それが、

「妻が妊娠していた頃、彼女はこんなことを話した。「人類ってすごいよね」」

が、「ほんとに、どうした唐突に。」とわたしも思った。

そして、奥さんがSFのファーストコンタクトものについて語る箇所がすごく面白い。個人的にはそっちのメタSFにもっていくとがぜん面白そうと期待する。

が、話はそうもならなくて、これからでしょ。と読みスクロールすると、もう終わりらしい。やはり物語は急速に畳まられるわけだけど、「そこに娘は何も書かなかったわけではなく、空白を書いたのではないかという気がした。」は、素敵でした。タイトルもここにきて、よくわかる。

10月実作をここまで読んだ中で、いちばんラストがいいなと思う。

 

揚羽はな マイ・ディア・ラーバ

全く偶然にyoutubemusicから、イージー・ラヴァーがかかったので、(そういうことってよくある)ラーバという文字を見る度に、「イージー・ラヴァー」が強くリフレインされる。日本語タイトルは、ラヴァーだけど、歌い方は、どう聞いても「イージーラーバ」だ。

そして、MDラーバを膝に乗せた妹の

「これさ、すっごく気持ちいいよ。なんていうか、温熱治療器みたい? 冷え症にはもってこいだね。お姉ちゃんも使ってみたら? アイマスク代わりとかー、首から背中に乗せたら、きっと肩こりに効くよ」が、おかしい。こういうのは、MDラーバを触るとどういう反応?と書きながら出てくる揚羽さんの個性なのだろうなあと思いつつ、それにあまり乗らない仕事だけが生きがいの姉もまた。。。

そして、まさしく仮想生物に対する姉妹の育児描写は、ほんとうに楽しかったり、まさしく読む者をも「育てる」に入り込ませる。

からの、梗概は読んだのだけど、こういう展開だったかと、驚かせてくれる、育児放投。

キキの放す言葉の効果なのか、キキがものすごく可愛く読める。そして読んでいくうちに、梗概を思い出す。

ああ、そこに行ってはいけないよ。とか本気で思う。そして、いい終わり方となるのだけど、誇張なしに、恵那ママの気持ちになって、キキ育児を体験して、キキからの贈り物をもらいました。

物語はど直球の「育てる」。育てるというテーマで、たぶん誰もが書こうとしない、このどこをどう切っても育てる物語に出来上がっていて、読み手を「育てる」に感情移入させるとは。

10月実作をここまで読んだ中で一番素直な「育てる」テーマに沿った物語でした。

 

宇部詠一 ミュルラの子どもたち

なんだか梗概と違う印象どころか、梗概と違う物語のよう。梗概ですぐ説明された設定「リュリュとアフアは、同じ樹から生まれたきょうだい同士だ。この世界の人間は、すべて樹の幹が裂けて生まれる。二人は王国を受け継ぐべき存在として育てられている」が、奇妙で面白いと思ったのだけど。そうなっているのかよくわからない。実作途中で、「私たち森の人間はすべてがこの樹から生まれたきょうだいであり、そのうち王族だけが次の世代に命をつなぐ。」で、また少し後ろで「私とアフアは、森のおおよそ反対側で生まれている。」となっているので、ああ、同じ樹から産まれた兄弟とはこれでいいのかと頷きました。

「私の足は速く、私の手を逃れる敵はいない。私の弓は遠くまで届き、眼も鋭い。」の描写はいいわあ。でも、「太陽が出ているさなかにそういうことをする者は少なくないし、決して悪いことではないのだが、私は先にするべきことをしないと気が済まないたちだった。だから、それは夜までお預けだった。」が、ユーモアの描写なのかどうかが不明。「私たちは一歩進むたびに他の者を置き去りにする。私の弓を張るためには、多くの人間の力がいる。そして、私の矢を手入れすることは栄誉だとされている。」がまた、格好いいわ。でも、「アフアが待ちきれない様子だったので、流されるままになった。事が終わると、私は何が悲しいわけでもなく涙を流した。」ここの意味が、素早く読むと、何を待ちきれなくて?となったり、その涙は「樹」のことなのか、「事」のことなのか、「リュリュ」に聞きただしたい。「アフアと気持ちの良いことをしたあと」とかいう描写では、「リュリュ」ではなく、宇部さんに、「事」への照れみたいなものを感じたりしますが、「気持ちの良いこと」は、ちょっと「ない」んじゃないだろうかと強く机を叩いて思いました。

また、梗概と違う物語になる。「私たちは三人で楽しんだ。」この展開は素敵だと思うのですが、わたしのか細い想像力では、どういう図としての、三人絡みなのか、うまく想像できない。え?どういう形で?と、これも宇部さんに問い詰めたい。

この三人プレイが、結構長く描かれることによって、リュリュがアファとヴァンの合体への驚きは、増したのかもしれません。たしかにここのヴァンとアファの合体シーンは、図柄としてよく見える。

物語の最後も梗概とは違う結末へと流れていくのだけど、またこれもとても自然で美しくまとまっていました。

10月実作をここまで読んだ中でいちばん異形なるものを美しく描いていた。

 

日曜ラッパー 一徳元就

梗概からして、わたしはすごく好きでした。本当にいままで、ほとんどラップを知らずに、この詩を一気に書いてしまったのなら、いや一気で無く数週間考えて書いたのだとしても、この詩はとても完成度が高いでしょう。実作は梗概の改訂版というか増加版みたくも見えるのだけど、「そうは言ってもおのおのも食用肉培養体となっている。」から、「女ももはや食肉の塊。」は、比喩表現として、食肉なのだろうか。「 美味そう!俺はラッパー、奴にとっちゃファザー、お互いが育てた肉を食う」の後ろ部分が同じリズムになっているかはおいて、やっぱり食べるのか?と思っての「嫁は立派、最後までガンバ、共食いにゃ混じらねえ。」は、おかしい。「なわけねえだろ、メン。」 で終わってしまうと。この追加部分も、日曜ラッパーの幻想だったのだろうか。

10月実作をここまで読んだ中でいちばんファンキーなラップだった。

 

カッシーニから君へと届く物語 泡海陽宇

家にはカッシーニの写真集があって、ほんとうに美しい世界にはっとする。そして、カッシーニが捉えた幾つもの惑星の写真には、まるで映画か人工的に作ったのではないかと思うカットで衛星達が誇らしげにポーズをとっている。ヴォネガットを魅了した、タイタンも確かに地球のような姿を見せるし、泡海さんの書いたエンケラドゥスもデザイナーが慎重に線を引いたかのような美しい青い線が描かれている。

泡海さんの冒頭の「気の衛星エンケラドゥスからひとつの小さな物語を。巨大ガス惑星かつ美しい環を持つその天体に惹かれた月、その氷球の天体について語ろう。」は、冒頭部としてきちんとしているのに、最後まで書き切れなかったのですね。わたしは、何も言う資格はありませんが、終わらそうとする気持ちだけを強く持てば、話は勝手に終わってくれますよ。たぶん。

「何度目かの振動に共振し変化し生成したわたしたちの思念が美しい球体となり10キロメートルの上昇と高鳴る心拍数と」の、「と」で読点なしで終わっているのが無念さなのか、もしかしたら、意図的なのかと思ったりもしました。

10月実作をここまで読んだ中でいちばんポエムでした。

 

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エンケラドゥス

 

エアー・シティーズ・インダストリー 藤田青土

梗概の「球体の形状は回転楕円体で直径1メートル、表面を地殻が覆い、その内部に水が満ちた状態だ。注文書に従って基礎を作り終えると指定の物質と植物を1ミクロンの狂いもなく配置し、回転台の上で光を照射すると3日後にはボストークは緑で覆われた。」が、具体的には絵として、いろいろ不明なのだけど、自分なりの想像力で描く「ボストーク」に強く惹かれた。個人的にコツコツ小さい物を組み立てるという作業に憧れがあるのです。自分にはできないけど。

「地表を退くと同時に宇宙への探究心を棄てた人類にとってエウロパの地下に水の海があるという仮説はもう永遠に仮説のままだろう。」の文章は一文でいろいろ説明できている潔い文章。

そして、「ボストークは知的生命を取り込み新しい進化をはじめている。」で梗概が終わっているので、そこの進化とは何かや、進化後を書いてくれるのではと思っていました。

「すでにレイの一部は核の微生物に取り込まれてしまった。」あたりまでは、想定内の、ボストークの進化だったけど、そこからが想定外の出来事の連続で、かなり面白かった。ボール上のものが、地球や宇宙になるというのは、想像しやすい領域なのだけど。これ。

「目を凝らすとその塊から棒のようなものが突き出し、それが少女の姿になって遊具に駆け寄るまではたった数分の出来事だった。少女たちは太陽と同様に不完全な体躯を溢れる生命力にあずけて跳ねまわっては砂の城のように崩れ落ち、また再生する。ひときわしなやかに走る少女が大きく口を開けると笑い声のようなものを発した。」そして、ほんと「レイ……もうこれは神の領域だよ」そうそう。と思ったのですが。

「照射システムの停止ボタンと同時に凍結装置のスイッチを入れた。」っていうのが、えっ。そんな簡単に終わらせられるの?というあっけない終わり方と思ったり、そのあとにも、「その姿を見たこの部屋にいた誰もがレイの異常さに気づいた。」で、あ、レイは、どうなったのか?と思わせるだけで、そこの描写がまったく無い。「それが、白百合のように無垢な生物なのか、人間の皮をかぶったバケモノなのかそれがわかるのに時間はかからないだろう。」で、レイについて、終わらせているのは、わざとここまでにしたのか。「ボストークのホログラムを眺めて内部を満たす海に漂いながら進化の夢をみている自分の姿を鮮やかに夢想していた。」できれいに終わらせていいのですか?レイは、どうなったの?と藤田さんに聞きたい。

アーキス室長がボストークをフォークで差し手からの現象は、本当に素晴らしくて、これだけいろいろな出来事が起こったのに、11000字。限定された場所で、起きる出来事は、これくらいすっきり簡潔な方がいいよなと思ったり。とにかくラストがこういう終わり方でいいのかだけが、わからないけど、他はとても堪能できました。

10月実作をここまで読んだ中でいちばん、驚きの展開でした。