全実作感想 その1

SF創作講座 10月実作の感想をうしろから「遠野よあけさんから、藤田青土さんまで」になります

敬称略

遠野よあけ 「空白・父・空白」

あ。ファーストコンタクトものかあ。そこの宇宙人や木製の描写は。とマンション停電で何度か階段を上り下りして火照った体で思う。ファーストコンタクト的な現象なのに妙に淡々とした報告書文体。でも、会話は静かな演劇っぽい香りがしてとても好きです。小説に寄らないのかなーと唸るも。それが、

「妻が妊娠していた頃、彼女はこんなことを話した。「人類ってすごいよね」」

が、「ほんとに、どうした唐突に。」とわたしも思った。

そして、奥さんがSFのファーストコンタクトものについて語る箇所がすごく面白い。個人的にはそっちのメタSFにもっていくとがぜん面白そうと期待する。

が、話はそうもならなくて、これからでしょ。と読みスクロールすると、もう終わりらしい。やはり物語は急速に畳まられるわけだけど、「そこに娘は何も書かなかったわけではなく、空白を書いたのではないかという気がした。」は、素敵でした。タイトルもここにきて、よくわかる。

10月実作をここまで読んだ中で、いちばんラストがいいなと思う。

 

揚羽はな マイ・ディア・ラーバ

全く偶然にyoutubemusicから、イージー・ラヴァーがかかったので、(そういうことってよくある)ラーバという文字を見る度に、「イージー・ラヴァー」が強くリフレインされる。日本語タイトルは、ラヴァーだけど、歌い方は、どう聞いても「イージーラーバ」だ。

そして、MDラーバを膝に乗せた妹の

「これさ、すっごく気持ちいいよ。なんていうか、温熱治療器みたい? 冷え症にはもってこいだね。お姉ちゃんも使ってみたら? アイマスク代わりとかー、首から背中に乗せたら、きっと肩こりに効くよ」が、おかしい。こういうのは、MDラーバを触るとどういう反応?と書きながら出てくる揚羽さんの個性なのだろうなあと思いつつ、それにあまり乗らない仕事だけが生きがいの姉もまた。。。

そして、まさしく仮想生物に対する姉妹の育児描写は、ほんとうに楽しかったり、まさしく読む者をも「育てる」に入り込ませる。

からの、梗概は読んだのだけど、こういう展開だったかと、驚かせてくれる、育児放投。

キキの放す言葉の効果なのか、キキがものすごく可愛く読める。そして読んでいくうちに、梗概を思い出す。

ああ、そこに行ってはいけないよ。とか本気で思う。そして、いい終わり方となるのだけど、誇張なしに、恵那ママの気持ちになって、キキ育児を体験して、キキからの贈り物をもらいました。

物語はど直球の「育てる」。育てるというテーマで、たぶん誰もが書こうとしない、このどこをどう切っても育てる物語に出来上がっていて、読み手を「育てる」に感情移入させるとは。

10月実作をここまで読んだ中で一番素直な「育てる」テーマに沿った物語でした。

 

宇部詠一 ミュルラの子どもたち

なんだか梗概と違う印象どころか、梗概と違う物語のよう。梗概ですぐ説明された設定「リュリュとアフアは、同じ樹から生まれたきょうだい同士だ。この世界の人間は、すべて樹の幹が裂けて生まれる。二人は王国を受け継ぐべき存在として育てられている」が、奇妙で面白いと思ったのだけど。そうなっているのかよくわからない。実作途中で、「私たち森の人間はすべてがこの樹から生まれたきょうだいであり、そのうち王族だけが次の世代に命をつなぐ。」で、また少し後ろで「私とアフアは、森のおおよそ反対側で生まれている。」となっているので、ああ、同じ樹から産まれた兄弟とはこれでいいのかと頷きました。

「私の足は速く、私の手を逃れる敵はいない。私の弓は遠くまで届き、眼も鋭い。」の描写はいいわあ。でも、「太陽が出ているさなかにそういうことをする者は少なくないし、決して悪いことではないのだが、私は先にするべきことをしないと気が済まないたちだった。だから、それは夜までお預けだった。」が、ユーモアの描写なのかどうかが不明。「私たちは一歩進むたびに他の者を置き去りにする。私の弓を張るためには、多くの人間の力がいる。そして、私の矢を手入れすることは栄誉だとされている。」がまた、格好いいわ。でも、「アフアが待ちきれない様子だったので、流されるままになった。事が終わると、私は何が悲しいわけでもなく涙を流した。」ここの意味が、素早く読むと、何を待ちきれなくて?となったり、その涙は「樹」のことなのか、「事」のことなのか、「リュリュ」に聞きただしたい。「アフアと気持ちの良いことをしたあと」とかいう描写では、「リュリュ」ではなく、宇部さんに、「事」への照れみたいなものを感じたりしますが、「気持ちの良いこと」は、ちょっと「ない」んじゃないだろうかと強く机を叩いて思いました。

また、梗概と違う物語になる。「私たちは三人で楽しんだ。」この展開は素敵だと思うのですが、わたしのか細い想像力では、どういう図としての、三人絡みなのか、うまく想像できない。え?どういう形で?と、これも宇部さんに問い詰めたい。

この三人プレイが、結構長く描かれることによって、リュリュがアファとヴァンの合体への驚きは、増したのかもしれません。たしかにここのヴァンとアファの合体シーンは、図柄としてよく見える。

物語の最後も梗概とは違う結末へと流れていくのだけど、またこれもとても自然で美しくまとまっていました。

10月実作をここまで読んだ中でいちばん異形なるものを美しく描いていた。

 

日曜ラッパー 一徳元就

梗概からして、わたしはすごく好きでした。本当にいままで、ほとんどラップを知らずに、この詩を一気に書いてしまったのなら、いや一気で無く数週間考えて書いたのだとしても、この詩はとても完成度が高いでしょう。実作は梗概の改訂版というか増加版みたくも見えるのだけど、「そうは言ってもおのおのも食用肉培養体となっている。」から、「女ももはや食肉の塊。」は、比喩表現として、食肉なのだろうか。「 美味そう!俺はラッパー、奴にとっちゃファザー、お互いが育てた肉を食う」の後ろ部分が同じリズムになっているかはおいて、やっぱり食べるのか?と思っての「嫁は立派、最後までガンバ、共食いにゃ混じらねえ。」は、おかしい。「なわけねえだろ、メン。」 で終わってしまうと。この追加部分も、日曜ラッパーの幻想だったのだろうか。

10月実作をここまで読んだ中でいちばんファンキーなラップだった。

 

カッシーニから君へと届く物語 泡海陽宇

家にはカッシーニの写真集があって、ほんとうに美しい世界にはっとする。そして、カッシーニが捉えた幾つもの惑星の写真には、まるで映画か人工的に作ったのではないかと思うカットで衛星達が誇らしげにポーズをとっている。ヴォネガットを魅了した、タイタンも確かに地球のような姿を見せるし、泡海さんの書いたエンケラドゥスもデザイナーが慎重に線を引いたかのような美しい青い線が描かれている。

泡海さんの冒頭の「気の衛星エンケラドゥスからひとつの小さな物語を。巨大ガス惑星かつ美しい環を持つその天体に惹かれた月、その氷球の天体について語ろう。」は、冒頭部としてきちんとしているのに、最後まで書き切れなかったのですね。わたしは、何も言う資格はありませんが、終わらそうとする気持ちだけを強く持てば、話は勝手に終わってくれますよ。たぶん。

「何度目かの振動に共振し変化し生成したわたしたちの思念が美しい球体となり10キロメートルの上昇と高鳴る心拍数と」の、「と」で読点なしで終わっているのが無念さなのか、もしかしたら、意図的なのかと思ったりもしました。

10月実作をここまで読んだ中でいちばんポエムでした。

 

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エンケラドゥス

 

エアー・シティーズ・インダストリー 藤田青土

梗概の「球体の形状は回転楕円体で直径1メートル、表面を地殻が覆い、その内部に水が満ちた状態だ。注文書に従って基礎を作り終えると指定の物質と植物を1ミクロンの狂いもなく配置し、回転台の上で光を照射すると3日後にはボストークは緑で覆われた。」が、具体的には絵として、いろいろ不明なのだけど、自分なりの想像力で描く「ボストーク」に強く惹かれた。個人的にコツコツ小さい物を組み立てるという作業に憧れがあるのです。自分にはできないけど。

「地表を退くと同時に宇宙への探究心を棄てた人類にとってエウロパの地下に水の海があるという仮説はもう永遠に仮説のままだろう。」の文章は一文でいろいろ説明できている潔い文章。

そして、「ボストークは知的生命を取り込み新しい進化をはじめている。」で梗概が終わっているので、そこの進化とは何かや、進化後を書いてくれるのではと思っていました。

「すでにレイの一部は核の微生物に取り込まれてしまった。」あたりまでは、想定内の、ボストークの進化だったけど、そこからが想定外の出来事の連続で、かなり面白かった。ボール上のものが、地球や宇宙になるというのは、想像しやすい領域なのだけど。これ。

「目を凝らすとその塊から棒のようなものが突き出し、それが少女の姿になって遊具に駆け寄るまではたった数分の出来事だった。少女たちは太陽と同様に不完全な体躯を溢れる生命力にあずけて跳ねまわっては砂の城のように崩れ落ち、また再生する。ひときわしなやかに走る少女が大きく口を開けると笑い声のようなものを発した。」そして、ほんと「レイ……もうこれは神の領域だよ」そうそう。と思ったのですが。

「照射システムの停止ボタンと同時に凍結装置のスイッチを入れた。」っていうのが、えっ。そんな簡単に終わらせられるの?というあっけない終わり方と思ったり、そのあとにも、「その姿を見たこの部屋にいた誰もがレイの異常さに気づいた。」で、あ、レイは、どうなったのか?と思わせるだけで、そこの描写がまったく無い。「それが、白百合のように無垢な生物なのか、人間の皮をかぶったバケモノなのかそれがわかるのに時間はかからないだろう。」で、レイについて、終わらせているのは、わざとここまでにしたのか。「ボストークのホログラムを眺めて内部を満たす海に漂いながら進化の夢をみている自分の姿を鮮やかに夢想していた。」できれいに終わらせていいのですか?レイは、どうなったの?と藤田さんに聞きたい。

アーキス室長がボストークをフォークで差し手からの現象は、本当に素晴らしくて、これだけいろいろな出来事が起こったのに、11000字。限定された場所で、起きる出来事は、これくらいすっきり簡潔な方がいいよなと思ったり。とにかくラストがこういう終わり方でいいのかだけが、わからないけど、他はとても堪能できました。

10月実作をここまで読んだ中でいちばん、驚きの展開でした。

全梗概感想

声なき声、未知の投げかけ 比佐国あおい

おもしろい。これは、どこかをどうにかすると、「あなたの人生の物語」の異星人コンタクト部分風にも読めます。「血で血を洗う全面戦争」というのが、他の部分とのシャレでないことを祈ります。

地球外生物が人の血を吸うという設定は、もの凄く面白いのですが。それでも、ラストの異星人の「愛している」というメッセージに納得できない!と思うのはわたしが、結構保守的な人間だからかもしれない。だって、「クラゲに似た半透明の浮遊生物」なんですよ。まあ、恋愛に外見の審美は不要ってことでしょうか?

 

エル・アレフの亡霊支配者 村木言

「何せバスケス将軍直属の軍が謀反を起こし、斬奸である政治家や貴族階級のみならず当のバスケスまでも皆殺しにしてしまったのだから。」を、「バスケスバスケスを殺した」風に読み違えて、これは凄いなと打ち震えたのですが、そうではありませんでした。「社会脳」って何だろうと思うけど気にしない。全体が格好いい文体の梗概なのに「おっ死ぬ」って、そう言うキャラなのか。これは標準語だったのかと悩む。最後まで、すんなり流れて面白いと思いました。ただ、最後に「また再び自身を育ててくれる者たちが現れるその日まで」とあると、この二人以前も、ずっと誰かに育てられていたということなのか。アピール文の「そこに根付く人々が変化を許容しない硬直した表象を百年も強制的に育てさせられていたのでした。」から、やはり、人々が育て「させられていた」ということなのか。と納得できるのですが、実作でこの構造が梗概の最後の一文だけでなく、じわじわと印象付けさせてもらえれば、わたしにはわかりやすいです。しかし、そういう「育てる育てられる」なしでも、村木さん安定の文章は楽しみです。ただ、危惧かもしれませんが、村木さんの前作も今回の実作も会話が妙に軽い。すごく軽い。これは意図的であればいいのかもしれませんが。

 

アイを育てる 木玉文亀

後半になると、こういう落ちかなと思う方向へ進んでいくのですが、でも、その説明をするのが本人の西沢さんではなく、第三者だったことに、どうしてそうしたのだろうと深く考えました。それよりもなによりも、アピール文の「愛を受け取ったら、その愛は別の誰かに渡さなければならない。それが愛のカタチなのかなと思い」って、いや、その考えは結構特殊ではないですか?と、気になって気になって仕方ありません。

 

ワカメス 九きゅあ

見たことがない世界観なくせに、すんなりと納得でき、わくわくできる。これが、センスオブワンダーってやつか。

文字を削除したためか、意図的なのか、体言止めと用言止めが重なって、ある意味スピード感はます。もの凄く完成度が高いと驚きました。もちろん、ものすごくSFですが。SFかどうかよりも、毎回書く人なりに「テーマに沿っているか」が重要なのではと、わたしは勝手に解釈していたのです。しかしここでは、テーマの「育てる」が見つけられなかったのです。が、小説として完成度が高ければ、そんなことはいいのか。。。プロフィール欄の「スクール史上最もゲンロンから程遠い受講生」が、最初からどういう意味なのか気になっていたのですが、この作品こそ逆に、アピール文にあるように「現代への批評性」があり、そしてカラフルなSF。まさしくゲンロンSFに沿った作品になるのでは、と思いました。でも、今回の「育てる」で考えられた話なのか。そこはどうでもいいのか。とぶつぶつ言いつつも、美しく造形されている長編小説の梗概と読めました。

 

Touch the Calen 宇露 倫

毎回、宇露 倫さんの書く話は澄んでいて、美しい話だわあ。と読み終わるも、アピール文の「バッドエンドではありません」と、わざわざ書いてあるところから、最後の段落は読み違えたようです。たしかに、いろいろ読み落としていました。と、毎回宇露さんの書く物語はシンプルな作りで、最後の一場面のみへ集約している作りですが、50枚だと、こういう作りの方がいいのだなあと、思うことは思うのです。

 

ムゲン・クエスト 西宮四光

昔から、なぜかRPGって最後のボス戦の前で止めてしまうわたしですが、意外にも、このラスボス前で終わらす派がいることも知るこの頃です。ただ、このRPG的世界を小説にするのは、衰えを知らないかの異世界小説を前にして、何か禁じ手のように思っていました。

ただ、この梗概は単にゲームの世界とは違うのか?何度か読んだのですが、この世界に出てくる?主人公、勇者、魔王の関係がわからなくなりました。主人公が勇者を育てて、魔王を育てる。主人公とは、リアルな人間?「既に旅だった現在の勇者の死を願う」とは、最後の(今プレイしている)勇者?でも、主人公が魔王であったというのは、リアルなプレイヤーが魔王となって操作した?「勇者は主人公の前に戻り」で、この前って何だろうと思うのです。場所としての?時間?最初読んで何となくわかった気になって、読み返すとやはり、よくわからなかったのは、こちらの想像力の問題が大きいと思うのですが。多分、わからせる、誤解させない、って、ものすごく難しいことなのだ。と、わが身に置き換え思いました。

 

弾ける球体 泉遼平

泉遼平さんの書く梗概は、実直にテーマに沿って書かれていて、わたしは好きです。

二人の女の子が球を育てるという今回はさらにSF感というか、物語としても密度が濃くて面白いです。アピール文にあるように、ここは「そういう何か」で、十分だと思うのです。

ただ、球体の正体が何であったのか。という答えが、書かれる「蘇美は球体に取り込まれる」からの流れ、家に届けられて、謝って、で、「慣れない制服に身を包んだ線の細い女の子が立っていた。」は、それでいいのかなあ。ともやもやしてしまいました。球が何であればよかったのかはともかく、泉さんが望んだのは、ハッピーエンドだったとしても、ただ、球に入って、謝っただけで、いい終わりでいいのか。アピール文に書かれているように、いろいろな流れを削除されたのかもしれません。ただただ、二人の女の子が球を育てるという設定は何故か強く惹きつけられました。

 

エアー・シティーズ・インダストリー 藤田青土

藤田さんも、物凄くテーマに沿った物語を書いていて好きです。そして、泉さんと同じく、藤田さんも球体を育てる話とは。その周りの世界は違っていても、「何を育てる」がはっきりしていると、物語を追いやすくなっていい。「レイは調査のため自分の意識と同期した機械をボストークの地表に送り込んだ。」と、あっさり書かれたこの一行は、想像力を掻き立てられて、たまりません。だた、この球体に入って行って、「レイの意識は肥大化し、ボストークの上のすべての有機物たちの急速な進化や退化、生殖と増殖の過程の美しさと力強さに翻弄されていた。ボストークは知的生命を取り込み新しい進化をはじめている。」というだけなのは、ちょっと、そのまま過ぎるような。この梗概の書き方だけだと、何かが足りないような気もします。あるいはそれは、物語としてのひとひねりなどではなくて、実作の50枚程度の流れを読んだ最後の描写によっては、腑に落ちる終わり方になるのかもしれません。

 

落下日和、白い羽 松山徳子

勝手に、松山さんはSFに寄らないお話を書く人か。と思っていたのですが、勝手すぎたわたしでした。「鳥を見た、気がした」の冒頭が、うまく効いていて、冒頭の強いイメージが継続していて、素晴らしい。

そして、一人の男が、羽という奇妙な「自分の一部」を育てるという発想も面白い。その育てることに一喜一憂するさまが続いて、ラストへの流れが美しい。一言も会話がない、映像だけで見せる短編アニメを見ているような面白い印象でした。あ、梗概にはセリフがあるのだけど。

 

日曜ラッパー 一徳元就

えー。「ラップというものをまともに聞いたことがない」っていうのは、うそでしょう。というくらい、ラップの形にはなっていて、驚きました。ヘイサンと凄惨は凄いわあ。また、アピール文の「鍋とか鉄板焼きとかで肉を育てるというフレーズをたまに聞くので、それを書いた。」とあるので、いやもう、その育てる発想だけど、すごく面白いのに。これだけでは、面白くないと、クローンを出すか。そこからの、モンスターって。一徳さんの梗概は、脱力を狙って書いているのかと思っていたのですが、そうではなくて、かなり狙っている実験作なのではないでしょうか?今回、大森さんを含め、講師の方がどう講評するのか、最も楽しみな梗概です!

 

ミュルラの子どもたち 宇部詠一

「同じ樹から生まれたきょうだい同士だ。この世界の人間は」という描写を読むと、イメージを出して読みたいわたしは、え?樹なの人なの?それとも、そのあいの子なの?外観大事よ。とキーキーしました。や、やっぱり、外見は完全な人間なのですよね。そして何の説明もされていないけど、「何の気もなしに大地に突き刺した。」というのは、それが授精?と思ったり。「アフアとヴァンが抱き合っていた。」という描写になって、え?ヴァンって、完全樹木でなく、地面から上が人?そして、「ヴァンと融合してグロテスクな姿になり果てたリュリュ」え?人と樹が融合した姿を見て、「グロテスク」と感じる人だったのだろうか?それは、この世界の人であれば、美しく感じるのではと思ったり。いろいろ思ったりしたのです。そして、「一方が樹木と結ばれて一体化し、残された一人が生まれてくる子供たちを育てるのだ」は、面白い設定規則だと思うのですが。え?生まれてくる子供たちって、完全な人の形であってる?そうそう?と、子供のように、いろいろ聞きたくなってしまう読者のために、実作では、「そこまでするのか」っていうくらい、姿形を説明してくれると嬉しいです。

 

マイ・ディア・ラーバ 揚羽はな

もちろん、いいタイトルだと思います。アピール文を読まないと、そこまでの意味はわかりませんでしたけど。育てるで、“思いついたのは、「子育て」のみでした。”からの「医療機器を育てる」とかには、普通いかないし、「医療惑星セラピスター」って、わかる気になるけど、なんかわからない言葉を出してくるのは、さすがプロだなと勝手に思いました。そこに、里親制度とか、死亡してしまった場合は、里親に厳罰。とかのルールが面白いです。ただ、わたしは、「雪だるま状のキキに嘲りの眼差しを向ける里親たち」というのは、雪だるま状になったことは、何かのミスだったの?で、園児のケガを治すキキというのは、医療惑星セラピスターだったから?とかとか思うも、助けて助けられてまた助けられという最後はとてもきれいな物語だと思いました。

 

あなたが望んだぼく 遠野よあけ

これは、短さだけでなく、どういう物語なのか、よくつかめませんでした。

“「お前は世界を壊さないと信じている。でも、お前が世界を壊したときはその事実を受け入れるまでだ」 志朗は父の願いもむなしく、戦争へと状況を加速させてしまう。”とあるけど、ここの父親のセリフの言いようは、戦争を避けたがっているでもなく、ただ息子に任せているというより、「戦争したっていいんじゃない?おれ、戦争だいじょうぶ」に聞こえなくもない。もろもろ、この物語はどうなるのでしょうかと思いつつ。

 

全部梗概書いたと思います。

どれも、面白い。今回、梗概だけの完成度では、九きゅあさんのワカメスだと思います。でも、どこに「育てる」というテーマがあったのか、わたしには見つけられませんでした。いままでは、何故か全員選出されていない人の梗概が選出されるという偶然?のような現象が出ていますが。それにのっとって、且つテーマの広げ方が面白いなと思ったのは、「落下日和、白い羽」 松山徳子さんと、「エル・アレフの亡霊支配者」 村木言さんでしょうか。

梗概だけで読むと、その梗概内できちんと世界が成り立って、わかりやすい説明が完結されていないと。1200文字に削ったからですなんて、言い訳誰も聞いてくれない。ということが身をもってわかりました。

SF創作講座全実作感想

はじめに

実作も全部読みました。これは、面白い。この面白みを感じてしまうところは、たとえば、プロ野球を見る面白さと、草野球を見る面白さは、当然選手のレベルは全然違うのだけど、こと見る視点の持ちようにとっては、草野球の方が断然面白いこともある。と書いて、自分で心持ち弱く頷く。そう、たぶんそういうことなのだ。

3期の最優秀賞になられた琴柱遥さんが、同人界隈では褒め合うことで、書き続けるセーフネットになっていた。ゲンロンSF創作講座も、読んでもらえるだけで幸せなのだ。みたいなことを書かれて、「ああ、なるほどなあ」と、思ったのですが、4期の現状について考えるに状況が結構違うように思うのです。3期を見てみると実作の提出が10程度で、半分近い回は10以下であったりすると、ああ、一気に読もうという気になったと思うのです。しかし、4期の20作、高め安定でいくと、この数で全部読もうという気力が無くなりませんか?あるいは、読み通せる作品だけは読み通して、あとは数行読んで、好みで無いと読まない。タイトルだけで読まないという状況もあろうとか思います。いや、それで本当に全く問題ないと思います。

しかし、講座でも実作の殆どは完全スルーされ、ダールグレンラジオでも取り上げられず、最後の最終課題にも落ちてしまうと、4期で言えば殆どの実作作品が、「読んでくれたかもしれない」けど、誰にも触れられずに講座が終わっていくというのは、どうなのだろうとも思うのです。3期ではあったという、もう一つのラジオ番組はきっと、2期の方達がそのように考えられた側面もあったのではないでしょうか。

もしや、当日の講座の後の懇親会が他の実作について感想を言い合っている場であれば、そこでは実作が、本当に存在していたという確証がえられるのかもしれません。しかし諸々の都合で、そういう場に参加できないと、本当は誰にも読まれていなかったのではないのだろうか、とか、この一年は何だったのだろうか、と思いやしないだろうか。と殆ど自分を想定して思うのです。

誰かの小説にあった「それは僕に、段ボール箱にぎっしりと詰め込まれた猿の群れを思わせた。僕はそういった猿たちを一匹ずつ箱から取り出しては丁寧に埃を払い、尻をパンと叩いて草原に放してやった。彼らのその後の行方は知らない」な、わたしは勝手にSF創作講座の実作であるところの猿の尻を叩いてみたくなったのです。

それと、ここまで、物語を三つも書いてみてわかったことは、「書きだせば書きおわる」という発見。わたしはプロットも作れないので、ふらふらと無意識に書くのですが、自分が書いたらしい言葉に「ほー」と思うこともあるのです。それは商品としての小説や、小説でも無い他人の書いた報告書を読んでも、何か文体とは違う、素のコトバの力、個性を感じるのが好きです。たぶん、そういう言葉の作り方や並び方こそ、人、そのものなのではとか思ったり。商品小説であっても、小説という枠組みの物語と違う、ユング的な無意識さで現れる現象に面白みを感じたりするのです。

というわけで

あ。

実作は宇部さんが、既にすばらしくまとめていた。ので、省略します。

遠野よあけさん 「カンベイ未来事件」を読んだよ 

昨日宇部さんが書かれた、「遠野よあけさん カンベイ未来事件」の感想で、「化け物じみたものを読まされてしまった」は、なんて大袈裟なと思ったり、またその後ろに書かれた理由を読む限りだと、そういう方向での「化け物じみた」かあ。と椅子の背を押して天井を見るくらいだったのですが。

寝る前に、読んでおこうと、「18日0時」に読み終わったのですが、わたしは宇部さんと多分、「全く違う意味で」、遠野さんの「カンベイ未来事件」が一番だと思いました。

ダールグレンラジオは、基本梗概選出対象の実作だけを取り上げるのが残念ですが、この遠野さんの実作を読むと、今回は遠野さんの作品に語られないのは信じられない。と、わたしも、まだ実作も全部読み終わっていないのですが、選出の三つと、感想会出席者の実作を読ませてもらった中では、東京ニトロさんの「FLIX!!」が一番面白かったし、東京ニトロさんが、きちんと校正さえすれば、毎回選出されるのでは。というくらいの印象だったのですが、遠野さんの作品は全く違う角度で、素晴らしかったです。

いつも、一日で書いたというような発言をされていますが、いや、これは、相当プロットを書かれたのではないでしょうか。わたしが、いままでSF創作講座では、みたことがない、コラージュのような手法で、それがどれも効果的に書かれているのに、驚きました。

たしかに、これだけの熱意をもって、凝ったプロットを書けたのも、遠野さんが現実の事件にインスパイアされての力だったのかもしれませんが、そこをおいといて、過去、現実、未来が見事に折り重なっていると思います。

過去とは言え、実際には、それも現在を生きているわたしたちにとっての未来ではあるのですが、その記述がとても面白い。村上春樹、火、正義という火を手放す決断、そして、「21世紀前半で亡くなった村上が知る由もないこと」が、うまい。ウイルスの件は個人的には、ごにょごにょですが。

「社会の多数派はその停止したユートピアに順応した。

 かつて根絶治療に反対したわずかな少数派も、違和感をもちながらもこの新たな時代を受け入れざるをえなかった。

 オカルティックロマンは、そのような少数派によって支持を得ていた。

 前世紀にオカルトへと熱をわかせていた人びとのごとく、彼らは失われた人類の遺物に想いを馳せた。

 その想いは、2077年壱岐島火災を引き起こすこととなる。」という流れは、面白く。え?どういうことで、2077年にと思うわけですよ。

で「火子計算機」ですよ。遠野さんの造語だと思うのですが、まず火子計算機が、古代のカンベイ湾古代遺跡にあったらしい。という登場させ方。ただ、ニック・ボストロムのシミュレーション仮説と、この火子計算機の具体的なイメージがわかないけど、何か面白いわあ。

◇人類が〈正義〉を手放した歴史の年表も面白い。

そして、本文とまた違った角度の意味を持つ章タイトルも、いちいち格好いい。

と、興奮したままの感想を書いてしまいましたが、実は格好いいと思った「火子計算機」も、「シミュレーション世界」というのが、整合とれているのか、最後にはわからなくなりました。

3部はまた、未来の物語という体をしつつも、遠野さんのメッセージと読めるのが面白い。ただ、それがこの全体の締める言葉になっていたのか、「その意味がいつか僕たちにもわかるときがくるかもしれない。」という何かアニメか特撮のラストのような締めが、勝手にちょっと「えー」って思いました。

なとど勢いでディスってしまいましたが、今回の白眉ではないでしょうか。もし、今回選ばれなかったら、ぜひ、「どうして、わたしのが一番ではないのですか?」と大森さんへ突っこんでください!

個人的にも、たくさん刺激をもらいました。ありがとうです。

全梗概感想(予定)ここまでだいたい半分

またかよ。な全梗概1/2くらい

もうね、どこにもわたしの梗概感想なんて需要がない気がします。

かなりたいへんなんですよ、梗概をそれなりに読み込もうとすると、さらに無い文章力で、適当にごまかすのも、しんどい。でも書いているうちに、あったこともない、みなさんのことが、我が子のように感じてきて、それどころか、この4期SF創作講座って、わたしが育てているのではないかと思って仕方ありません。

きっとこの中から出てくるでしょう、日本のSFを背負ったり、抱かれたりする人のことを、「ああ、この人はわたしが育てたのよねえ。」と思わせてください。はい。もうね、そのくらいの度量と器量でわたしのぐたぐだ感想を読んでください。

でも、あまりに反応がないので、残りの感想を書けるか、不明です。【さびしんぼうかよ!】

 

小島 夏葵:完熟

わたしが、SFかSFでないかなど、恐れ多くていえませんが、この物語の流れは、まったくSFと関係ないようにも思います。が、SFであるかとは、おいてみれば、この物語の書き方は、とても熟れていて、最後のカタルシスも見事だと思いました。

「熟れた毒ヤシを定期的に食べ体に毒を入れ、軽微な身体不調と引き換えに「美食家」なレムレースの捕食を避ける。」
という設定は、洗練されているし。
アネモネの関係。ソテツへの暴力。大人文学度も高いです。
さらに最後の段落の全ての出来事は、総論として、濃いドラマとして、成功しているように思います。
と書くも、その最後に少し分からない点がありました。

アネモネの投げた浮きは師匠に届かなかった。もしくは、届いたかもしれないが、レムレースに食べられてしまった?
また、ソテツは海の中、毒ヤシを食べた途端「すぐに」毒が体中にまわって食べられなかったということ?
「ソテツは海中の鉄柵の鍵を外す。」とあるのは、自分も死のうとしたけど、偶然毒ヤシがおちてきた?
もし、自分も死のうとしたとしたら、その理由が、よくわからなかった。いや、それはわからなくてもいいと思いつつ。こういう疑問が自分のことは差し置き、ふつふつとわくようになってきました。もちろん、全くSF梗概らしくないけど。まあ、それはいいのかもしれません?

 

【そしてここから先頭(感想会出席者は別頁)】

天王丸景虎 山を育てる

山を育てるというイメージはとても面白く惹かれました。

土砂を使って山を育てているおじいさんもいいと思いました。前回もログラインは素晴らしいと思ったのですが。たぶん、梗概の選出でなく、ログラインで選出だとしたら、天皇丸さんの作品は毎回選出されているのではなかというくらい、引きはいいと思います。

ただ、その物語の頭から最後までの流れが、わたしにはすんなり読めずに残念です。しかし、ラストはラストで、また決まっているので、もしかしたら、1200字に削るところで、いろいろ無理が出てしまっているのかもしれませんね。

たぶんわたしより、天皇丸さんの方が小説を書き慣れていると思うのですが、ここ数ヶ月、実作までいかない癖が、何か、ログラインや梗概に拘りすぎているのではないでしょうか。

一千の梗概より、一作の実作というように(ソースおれ)、あまり梗概で選ばれることを気にせずに、実作を書いてください。心の三顧の礼です。お願いします。

 

吾妻三郎田 趣味人の六日間

この梗概は相当読みにくかったのですが、相当読み直すと、相当面白いのでした。

いや、この文章は相当だめでしょうと思うのですが、いろいろ脳内変換すると、どこまで作者の狙いかわからないけど、面白みに満ちている。

あっさり乗組員の田中君(いい奴)を殺して、「ちょっと後悔」する加山君。

そして、いろいろあって、「田中さんも『満更でもなさそう』である」

最後の一行が面白いのかどうか、わたしもよくわかりませんが、きっと面白いはず。SFではない面白みだけど。

 

藤 琉 成獣式

これは素晴らしい。梗概というより、2000字のショートストーリという体で完成されていると思いました。きっと、梗概選手権には、勝てないと思う、まるで本編のような表現。下手すると、そうとう奇妙な言葉の羅列になってしまうところを、藤琉さんの、詞のような言葉の選び方、使い方は完成されていると思います。

ただ、このSF創作講座で選ぶ人にとって、この表現は受けないような気もします。なんてことも、もちろん藤琉さんは、認識した上で提出されてきたのかと思うので凄い。2000字ぴったりになっているのは、もしかして、1200字制限を単に2000字制限と勘違いしているだけな気もする、そんな風に思えさせるくらいすごい。

 

甘木零 エフェメラの輝き

甘木さんのストレートなメッセージを感じました。全編SF小説の梗概になっているのですが、梗概の読後に感じるのは、ここでは、「育てる」がテーマでしたが、前回の「正義とかヒーロー」にも通じるような、メッセージがとても気持ちよかったです。そしてラストの「街中の電飾が狂った文字を流し色彩を踊らせた。電飾には蜉蝣エフェメラが群がり、一日だけの命を尽くした。」は、梗概のこの短い一節を読むだけでも、ため息をつく美しい絵をイメージできました。

 

中倉大輔 優しく安らかなクビ

面接をしていた男が楡壮太であったという落ちは、面白いのかどうか、鈍いわたしは、こういう流れが苦手なのかもしれません。ただ、この長さでまとまってしまってみえて、そのやりたいことリストを、具体的に長く伸ばせても、やはり、最後の根本と男の面接で終わるという流れが終わりであれば、あまり話が延びないような気もするのですが、あるいは梗概で削った箇所に何かがあるのかも。と思ったりしました。

 

古川桃流 ショートカット

古川さんの梗概で、わからないわからないと言ってしまうのは、かなりわたしの読む側に責任があるのかと思います。そして、恥ずかしながら、わからない点、1.繰返し演算。これは、プログラム上で同じ演算を繰り返すということなのでしょうか。「宇宙が繰返し演算の対象」という使い方だと、何かやはり、「繰返し演算」という語彙にwikiにも載らないような、一般的な意味があったのでしょうか?

その2.「その後も助手は体験した既視感について」の助手の既視感というのが、この物語ではどういうことなのか、わかりませんでした。たぶん、「演算結果を保持・再利用するプログラムを書いた気がすると言った」も、その既視感だと思うのですが、つまり教授の論文は助手の既視感によるものだった。とすると、それがこの話でどう生きているのかが、よくわかりませんでした。また、「生態系だけでなく宇宙を演算するのはいつですか?」というのも助手の既視感ですよね。「助手の既視感は以前の宇宙の体験である、という仮説に基づいて、自説を助手に教え込むようになった」ここが全く分からないのが、自分でも致命的だと思います。「以前の宇宙の体験」って、何だろう?助手自身が、宇宙で体験したことなのでしょうか?そして、最後の一段落は、時系列として、この物語の最初の段階と考えていいのでしょうか。

などなど、後半の三段落が、わたしには謎な三段落となっているのです。理解できていないのが、わたしだけのような気もします。

 

榛見あきる 箱庭ヘテロトピア

こんな突っ込んだ描写の梗概があるとは思いませんでした。冒頭のうそ年表が格好良くて、すぐに世界観を際立たせている。そして、大がかりな背景で、行われる研究が「遊郭奥座敷で、愛と性と意識あるいは無意識──心」なんですよ。ここら辺の史実と虚構の混ぜ具合は、とても効果的で面白いと思ったのですが、中身がかなりわからなかった。これもまた、問題はわたしの読解能力が原因だと思います。

箱庭ヘテロトピアという言葉は榛見さんの造語だと思うのですが、ヘテロピア自体が、聞いたことがあるようなないような言葉だし、フーコーの「ヘテロピア」の説明を読んでもよく分からない。ただ、この梗概では、異望郷にヘテロトピアというルビが振ってある。あれ?そういう意味?あれ、でも異望郷ってなに?望郷(故郷を思う)とは異なる場所?これも造語?そして、いろいろ不明なまま、「先生。僕たちは、死ということがわからない。演ずる人が変わっても炯は炯だし」「昂は昂だ」「誰かが僕らを求めてくれるかぎりは」『私』は筒状の装置に炯を寝かせ、河瀬教授は装置を起動させる。

は、何か気が利いているような説明のような、わかったような気にはなれるのですが、「それでも私は、その計算機と化した人間の──性と遺伝子に拘束されたヒトの、幸福を探したいのですよ。個人の心に意味があると、析いのりたいのです」ここが、理解できませんでした。もちろん、最後の「42」も。

アピール文に書かれた「利己的な遺伝子」は、きちんと読んで、読んだときも結構、この人間は「乗り物」にすぎなくて・・みたいな話を嬉々としたり、その統治は、何でも「利己的な遺伝子」のせいにする。という文化もあったような。そんな程度はわかっていても、今回の榛見あきるさんの梗概は難しかった。

 

広木素数一 星群(ほし)のかたぴら

出だして、ああ本格宇宙物SFかと期待すると、そうではなくて、アピール文にそっけなく書かれた、ほぼその一行通りの物語でした。

宇宙である必要があるのかというと、あるような気もしますが。やはり、ここでもよくわからないのが、ロボがタニギへ秘密を明かしたことで、どうやらタニギは、反逆の疑いがあるとされて、虫毒を投与されたのであれば。

なぜ、当のロボは何もお咎めが無かったのだろうか。ロボ自身も、自分の秘密がタニギにばらされたと思って、計画を早める。というのは、なぜ、そもそも肝心のロボを放っておく?という疑問をもちながらも、ロギは、「戦禍に荒れ果てた惑星へ降り立つ。」ってしまっているので、実作を期待します。

 

式 「あなたが生み落としたのは金の斧の文明ですか?」「それとも銀の斧の文明ですか?」

タイトルになっている、この魅力的な出だしで始まる。でも、話があまりに大きくなりすぎて、この最初の出だしが、必要であったのかとすら思えてくる壮大な話でした。ただの言葉遊びだったのだろうか。

たとえば、「斧に似た道具である鎌を落とすことを二人は期待していた。だが老人は鎌ではなく「砂時計」を落とす。二人は落胆したが、めげずにそれを金と銀に変化させる」の一節で、なぜ鎌と思わせるフェイント?老人はギリシャ神話のクロノスの意味もあったのかもしれませんが、だとすると、尚のこと梗概部分だけだと、イソップから神話に?と思ってしまいました。イソップ神話の女神が、時間を戻そうとするのは、面白いのですが、そこから、まさしく作者の思うままの、カオス世界へ。ここからの世界の流れは、わたしは、とても好きです。ええ。わたしは。でも、この梗概の文だけでは、たぶん多くの人がひいてしまうのではないかと勝手に想像します。あ、女神が斧をもいちど、欲しかったから、最初の斧の話?でも、これだけ、大きな話に、女神の斧がつけたしのような気がしないでもありません。神が死んだという終わり方は素敵ですが、ちょっと実作を読んでみないと、面白いのかどうか、わからない匂いもあります。勝手に式さんの呟きを眺めたり、いままでの実作を読むと、大風呂敷を広げた文体、たとえば生きている人なら、ニール・ゲイマンの神様の話や、天使と悪魔の闘いのような、文体で人の頬をパチパチ叩いてくるような押しの文章があれば、わたしを含めた、けっこう多くの人は式さんの世界について行くはず!まとめると、式さんの書く物語は、梗概だけだと分かりづらいということですね。

 

岩森応 重層惑星

岩森さんがいままで出してくる道具は個人的にかなりの壺でしたが、今回こんな道具が出てくるとは思いませんでした。教えてもらった好きな漫画も相当でしたが、「孟嘗君を写経した」というのに、密かに恐れを感じています。こわくて、突っ込んで聞けませんでしたが、「宮城谷」作品を写経するというのは、ああいう。いや省略。いままで、失礼極まりない、他の人の梗概に「わからないわからない」を連発していましたが、これは、わからないからいい。と言わざるを得ません。いや、岩森さんの解説本がほしいくらいな、妙な物が妙なことをする物語の梗概ですよ。一部には、知らない言葉が出てくるも、その周りを囲んでいるのが、よく知っている姿形の物なので、わたしは、くいついてしまいました。もしかしたら、実作では、これらぼんやりとした姿や動きがつかめなかった範囲も、アピール文を読むと、すっきりしてしまうのかもしれませんね。恐ろしい。

今はよくわからない、「トリプルビニールが宇宙外へ旅立つ」というラストが、実作を読んで、実際に歓喜に浸れるようになりたいものです。

 

大塚次郎 そして馬になる

いつも、大塚さんの梗概を読むと、「すごい感」と「負け感」に浸ります。あまり、大塚さんの梗概はとりあげられていないようですが、何か背景がすごい人。のような気がします。でも、今回は用語の使い方から、文系の人っぽくて少し安心。そして今回も、梗概だけでは、この設定の面白みが伝わらないだろうとも思います。ここも、あっさとした、アピール文「実作の際には、沙村広明の短編のような雰囲気が出せればと思っている」の、いやほんと、沙村広明調の小説を書ける人がいれば、すごいことだと思います。ぜひ実作をお願いします。

 

一色 光岸 四畳半のif

一色さんの梗概は、毎回読みづらいけど、少し奇妙で、しっかりとした世界が構築されて、驚きます。今回も一色さん世界を堪能できました。たぶん一色さんの梗概も、他の人の書き方と違って、梗概なのに一部助長で一部説明抜けがあるので、アンバランスな感じがあるのかもしれません。

それでも、今回の梗概で作られた世界は、滅法変わっていて面白いです。最初の設定から、どんどんわたしが、仮定で考え出していき、「私だったかもしれない私と私の意識を持つ私を比較している私を観察する私」が存在するのです。」っていう、強引でもあり、自然でもある流れ。ただ、梗概だと、殆どがわたしの思索になっているので、これが一万~二万字にどうなるのか、まったく想像もつきませんが、もうずっと、わたしの脳内思索物語でもいいような気がします。アピール文には、推敲して気になった点があげられていますが、わたしは、寧ろその説明はない方が面白いような気がします。が、そんな意見は、少数派だと思いますし、こんかいの一色さんの書かれた梗概は100%SFだと思います。ぜひ実作を書いてみてください。

 

武見 倉森 文芸部機関

今まで何度も何度も使ってきた言葉ですが、今回はここまでで、一番大声で怒鳴りたいですよ。「えすえふじゃないじゃん!!」まあ、全然わたしは構わないのです。唯一、わたしがSF的な匂いを感じられる箇所が「星新一賞」でしょうか。武見さんも全て確信犯で書いていると思うのですが、そうすると、何の確信なのかも不明ですが。ラストの「事実、面白いので……」と謎の方向で物語を決着させていますが、いや、アピール文を読むと、本気でこの文芸部の世界を書きたかったようなので。すごい謎な梗概であるがために、そこが惹かれます。

感想交換会、梗概分

梗概感想のはじめに
他人が書いた梗概で、完成作品を予想するのは、わたしには、困難というか不可能ではないかと思います。
そして、次第に、自分の中で勝手に考えていることは、実作を書くことを前提とした自分の梗概とは、梗概として完成された梗概であることより、実作を書く自分への「手紙」のような、これで、ちょっと書きたいことを書いてみなさいよ。という自分宛の少しだけ挑発的なメッセージのような。。。あるいは、だらだらとした日常から、違う方向に目を向かせる、遠くに見える誘導灯のような、自分で出かけていって見てきたい物。そんなふうな物が、わたしにとっての自分の梗概なのだと思います。
とかいいつつも、実際は実作を書くときも、一度も梗概を見ないし、梗概を書くのも、大して考えもせずに一気にどこかを見つめて書くだけなので、簡単に言うと、梗概は適当に放り投げた石で、それを実作で拾いに行っているだけなのかもしれません。そして、実はわたしが実作を書きながら思うのは、もちろん自分が楽しめることを前提としても、全編「受け」を狙って、媚びまくって、面白がられたい。はずなのですが、最近は自分の想定外的な空振りをしているだけのような気もしてなりません。
そもそも、SF創作講座においては、梗概と実作を講評してもらう講座なのですが、プロの作家、編集者らに、スルーされ続けるというのは、もしや空振りですらない、三振の連続なのかもしれません。

前回?だったか、大森さんが言われた、「殆ど無駄になる段ボール数箱の各SF予選応募作のエネルギー」というイメージがわたしには、印象深かったのです。まだわたしは、そういう応募をしたことがないのですが、ここで自分の実作をなんとか、無事に10作書き終えて、その全部を印刷しては、自分のエネルギーを見てみたいと思うのです。必需品さんが書かれた「最終まで色んな角度から投げてみる」しかないと思った、9月16日です。

 

1. ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分(渡邉
このタイトル格好いいでえ。藤沢周の「ブエノスアイレス午前0時」のような、もしやタイトルだけで物語は全く関係ない路線かと思ったら、本当にこの通り。なのもまた、格好いい。この格好良さを説明すると、たぶん感覚で、深夜1時27分としたところ。だって、1時27分なんだよ。
物語はシンプルだけど、50枚だとこのくらいの動きで十分に思えた。物語の動きは少なめだけど、ココンとクリードラの気持ちが読む人に伝わると、相当面白い。でも、こういう表現は相当難易度が高い気がする。
たぶん、競争梗概の中での競争力は、高くないのかもしれないけど、好きです。
これは、去って行くココンが主役なのだろうか。
わたしにとって、シュヴァンクマイエルは、不気味、恐い感しかないけど、SFとして育てる物語をどういう幻想風にするのだろうか楽しみです。

2. 外来種(稲田)
面白いショートショート。自分も書くのが恥ずかしいですが、どこかの短編集に載っていてもおかしくないような、ちょっと面白い話でした。と簡単に書くだけでなく、どうして、稲田さんは、こうすんなりとふにおちる物語を書けるのだろうと不思議がる。
この梗概を読んでいる途中までは、「うそっぱちの祠を山田家裏手の空き地に設置しようと計画」して、それが本当になる話で、それだけでも面白いと思っていて、なぜか途中の「謎の影が星路の夢枕に立つ。神社が祀る神を自称する影は「いたずらに信仰心を育てるな」と警告するが、ただの夢だと星路は無視する」
が頭に入らずに読み飛ばしていたので、余計、ラストの落ちが面白いと思ったのです。ただ、わたしが頭に入らなかった部分を、きちんと読んでいるとどうだったのだろう。とか、ここの夢の挿入って必要なのだろうか?とも思いました。宇宙規模の陣取りゲームとすると、この夢への語りかけは奇妙だけど、あまりに陣取りゲームに熱心な宇宙人が、かなりセコい手段で人間に語りかけていると考えると、また面白いのだろうか?
なんでこんなにきれいで読みやすくて面白いのだろう。と自らを反省しつつ、しばらく考えます。

3. ラピスラズリ(中野)
ラピスラズリという言葉を見ると、「宝石の国」を思い出してしまい、いやいやと思うも。およそ、宝石の国に続いているイメージもあったのですが、中野さんはかの「宝石の国」を読んで(見て)いないに違いない。そして、今敢えての百合風味。ただ、「未灰の璃砂への思い」の物語に、海を美しくする話の絡みがよくわからなかった。「もともと汚染地区にいた上、研究で汚染物質を扱う未灰は生殖機能を失っており」これが、まず最初に生殖機能を失わさせて、体を衰えさせるという箇所に、妙にひっかかり、なぜ生殖機能が失うのだろうと考えてしまいました。「汚染物質を安定物質に変換する方法を研究し、海を浄化してかつての美しい色を取り戻す」というのが、イメージとしては綺麗なのですが、この人と人の思いの上に、この海浄化への流れがあるのは、繋がっているのだろうかと思いました。絵として美しいラストは必要です。

4思い出の教室(よよ)
これは、分かりづらかったです。流れはシンプルで、AIが育っていき、働く現場で違和感を感じたので、そのAIを育てた学校が廃校へとなっていく。という所までは、特に変わった点も無い流れだと思います。
そして、男女としか書かれていない二人は、例えば男がロボットで女が人間ではないかと思いますが、この男女が、というたぶん意図的にした不自然な書き方で、へんに男と女二人にヘンさを感じてしまい、もしこれが、落ちだとしたら。あまり落ちていないようにも思います。それは読み違いの可能性も大なのですが、「僕らの可能性を信じてほしいこと。老女はその手紙を火で燃やした。」の最後の二行が、いいことを言っているような気もするのですが、梗概で書かれたこれでは、先生が手紙を燃やすことの流れに、何かが足りないような気がします。

5. ぬっぺっぽうに愛をこめて(藍銅)
これは、鬼太郎だったか、妖怪なんたらだかでみた気がする「ぬっぺふほふ」の姿として読みました。
最後の一段落までは、想定内で書かれかたも上手く物語が進んでいくのですが、最後の段落で、自分の想定外な結末でした。想定外というか、どう解釈したらいいのか。あまりに愛情をこめて育てた、モコのその育て方が強すぎて、父が不老不死になった?その前段落の、最初にモコを預けた薬屋が、内臓をとりにきて喜ぶ。というのは何か特別な意味があるのだろうか?やはり内臓が特別によく育てられていた?そして最後にまた、自分の娘を見て、「子供の愛なんて大したものじゃない。不老不死なんて、そんな馬鹿なことはありえない」というのは、二重否定なのか。そのまんま、自分の娘も大して、愛など持っていないということ?と首をひねったままにして、実作を読みます。

6. 猫じゃなかった!(夢想)
ここで、夢想さんの正面に座って聞きたいのは、マフィンと名付けられたそれは、ひとつではなかったの?ということです。それとも、「マサオは、あれは一体何だ!と問い詰めようと沢村の家に行く。するとそこは数台のパトカーと多くの人達で騒然としていた。沢村は何者かに殺害されていた。」は、沢村の家に着く前にすでに、マフィンが沢村の家に行ったということ?
あと、一行目に「神崎マサオは心の中で同僚の島田への恨みを育てていた。」となっているのに、そこから島田は登場せず、ただ後ろの方で、「島田への復讐はどうすればいい?」と聞かれるだけに留まるというのは、一行目で、島田への復習話のように、始まるけど、実はその前段階で話が終わっているというのがバランス的に不自然に感じました。でも、最後の一段落のような終わり方は正しいと思います。

7. ゾンビを育てる(今野)
これは、その前日まで、SM関係にある中国と宇宙人が次第に宇宙人のMの「良さが」宇宙中に広まり戦争になる。という相変わらずな梗概を書いていたのですが、締め切り日に「一人称のゾンビ」って面白くない?と勝手に自分に語りかけ、その前日に読んだ「悪の華」チックなぼくゾンビの青春変態ものってどうよ?どう?いいんじゃない?と自分に言い聞かせて書かせた物でした。黒田さんに指摘された一人称と三人称の混ざっているところは自分でも不自然に感じました。でも、ハードボイルドの俺や私も本人不在描写ってあるよな。とか勝手に思うも、確かにいろいろ間違っていました。ぼく文体の練習をします。

8. ヒニョラと千夏の共犯関係(品川)
「ヒニョラを家に入れようとする時だけ「入れるな」と叫んだ。」は、わけもなく凄く恐い描写でした。
だけどすぐ下の「気がつくと橙色の光の差すワゴン車の前に導かれており、そこでヒニョラに血を与え小説を読んで過ごした。」の前半部分と、後半部分の繋がりがわからなかった。ワゴン車に導かれると、なぜ?そこで?
また、下の段の「祖母はお焼香の際、ヒニョラに抹香を叩きつける。続けて腕にしていた数珠を、更には近くにあったガムテープを叩きつける。千夏と祖母の暮らしが始まる。」も、ヒニョラを嫌っているらしい祖母という文のすぐ後ろに、千夏と祖母の暮らしが始まる。というのは、え?どうして、それなのに一緒に生活?と思いました。痴呆症だから、たまにの発作だから?
でも、「朝起きた千夏は首周りを掻き毟っている。」で始まる段落は圧巻のホラー文章になっていて、ブラボーでした。最後の一段落は理屈としては意味分からないけど、いや分からないこそ、特別に素晴らしかったです。

感想交換会、実作分

はじめに
SF創作講座の感想交換会のための感想を書いている9月14日に「帰れない二人」というジャ・ジャンクーの映画を見たのですが。そもそも、日本において、ジャ・ジャンクーの評価を上げたのは、自分ではなかろうか。と自負しているくらい、たぶん3人くらいはわたしのおかげで、ジャ・ジャンクー好きが増えたという特大な観客増加の一助を担っているのですが。そんなわたしでも、今回の「帰れない二人」は、なんか全然のれなかった。どうしたんだ、わたしのジャ・ジャンクー。とオープニングからエンディングまで叫んでいました。自分にとっては、トンデモ要素が満載で、今のは、一体何だったのだろう。それはないだろう。と呟いてばかりでした。
しかし、ネットを見る限りは、普通に感動したやら、いつものジャ・ジャンクーだやら。みたいな、わたしにとっては不思議きわまりない評ばかり。
と、思うに、もしや、おかしいのは、ジャ・ジャンクーではなくて、自分の方なのでは。とも思わないではありません。ちなみに、そんなわたしの今年一番好きな映画は、ラース・フォン・トリアーの「ハウス・ジャック・ビルト」です。なので、ようやく、自分の感想の方が、大いなる勘違いかもしれないと思いつつ、読みながら、ぶつぶつ書き流してしまいました。これは、感想では無く、「おばさんがテレビをみながら突っ込んでいる」だけです。
全く参考にならない、自分の独り言です、すいません。
15日8時現在、実作だけ読み終わりました。こんな感じです。梗概は後日追加いたします。

感想交換会分
実作
9.プロフェッサー楓とアレクサンドロスの末裔(渡邉)
・(ナレーション)部分をどう読むのか。ドラマのナレーション?
論文なんかは後回しだ!は、楓の独り言?
あ、下のテレビドラマのナレーションか。でも、こういう入り方って、読み手は戸惑うのでは?
ここの全体が、あるときは第三者の「楓は」と書かれている一方で、頻繁に主観の、わたしがどうであった。「わたしは」という主語は使っていないけど、一人称描写としての感じ方の描写になっている。
わざと?あれ?こういう書き方でいいのか?
中国好きは分かるけど、長城で車って通じるのだろうか。長城BMWって言い方するのだろうか。
「口が軽い奴がいたものだね。それで、あんたは?」
「長城を見張っている子が親切だったの。九条楓、歴史学者よ」
あ、こういう格好いい名乗り方の会話、自分には書けない。
遺伝子検査とかしてないけど、誰も反対してないんだ。きっと正しいんだろ」
「話がしたい」
「お姉さん、ストレートだね」
とかとかスマートな会話。
会議中の楓の発言に「」をつけていない箇所は、意図的なのだろうか。
マケドニア閉鎖の意思決定早いな。
楓が真の歴史の話をしている箇所で、部分的には楓の説明調なっているが、次第に地の文としての説明調(楓の説明ではない)になっているような。
二人の会話の際も「」を使ったり使わなかったりするのは意図的なのですね。
梗概を読んで意味が分からないけど、面白そうと思った「体内のウィルスすら抑え込もうとする。実体化したフェイクAIが口から吐き出される。使い魔と共にこれを退治。」
という部分が実作では違う方法になっていた?のが勝手に残念
何か梗概と実作の印象の違いが大きく感じました。
実作を読み終わった後は、2、3,4のヴェレスでの活動が中心となっていて、それは上手に展開されていると思ったのですが。何か梗概を読んだときの、魅力的な会話に挟まれるフェイクニュースやとても魅力的に感じた30代子持ち歴史学者の活躍、という箇所が少なくなっていた。それは、50枚の短編なのに、彼への真の歴史説明の描写が多くを占めてしまったからなのか。ただ、わたしが長く感じた箇所は、人によっては逆に魅力的に思うところなのかもしれません。
会話も魅力的で、地の文も時に歴史調で、ときにハードボイルド風味で、時にユーモアも混ぜてと、羨ましい。


10女の子から空が降ってくる(稲田)
出だしの、女の子が地面の匂いを嗅ぐ描写から入るのが上手だなと思ったら、「まるで鼻の奥に小さな島ができたような心地がした」なんですか、これ。こんな可愛い描写は見たことがない。そして、なぜ地上の匂いを嗅ぐのが好きか説明する。上手だし。
たぶん梗概を読むだけだと、読む人によって、主人公の形や動きがぞれぞれ読み手の数だけあったろうけど、この実作をよめば、稲田さんの書いたとおりのアリリとスクズズを思い浮かべられる。
ツイッターや講師の突っ込みの返事ではないでしょうが、“硬い鱗状の皮膚”とか〈食の海〉と〈肥の海〉とか、異世界にきちんと補足説明が入る。
〈足もとの人々〉など名称が上手で心地よい。
アリリと好奇心旺盛な〈足もとの人々〉二十名とで調査団は構成された。の調査団の説明が楽しくなる。
だけど、最後の説明がよくわからなかった。
前半で説明していたくしゃみの説明が最後でも効いてくるのだけど、鼻水とつばだった。と たぶんアリバドプの石細工を造ったときに出たゴミ。という落ち?が、わからなかった。
『でも……、私にも、世話係の他にやりたいことがあるの』
 そのようなスクズズの告白を、アリリはマプコーヤたちに教えなかった。
も、わからなかった。
「そういえば、僕、地面の上に立ち上がって、思いっきり伸びをしてみたいな」
と、最後の一行:いや、その拳はもしかしたらマプコーヤのものかもしれないし、ひょっとするとスクズズのものかもしれない。
も、物語の閉め?として、よくわからなかった。
読み取れていないのかもしれませんが、調査団の調査までは、その可愛く美しい描写が、とても面白かったのですが。このラストの説明部分がよく読み取れませんでした。
ただ、「柱娘が天をささえて、空のかけらがおちてくる」というイメージが素晴らしく、その描写も成功していると思いました。


11.ペテン師モランと兎の星(藍銅)
ですます調の文体なのだけど、住んでいるのです。あ、ここはですます調というより、「のです調」か。
普通は「住んでいます。or住んでいました。」にしない?「住んでいるのです。」って断定されると、面白くなるのね。
「ぴょんたかぴょんたか」って言葉も使ったことも、読んだこともなかった気がする。
読み進めると、梗概では想像できなかった、お茶目文体であることに気づく。いや、かなり飛ばしている絵本文体か。
しかし、蔦が二人を覆って、妊娠とは。ああ、絵本だからね。
「それで、どうするのです」
 モランはゆっくりと顔を下ろしました。ルゼの顔をしばらくじっと見ます。兎が一羽、ルゼの足元を通り過ぎた頃、モランは言いました。
「戦争を終わらせる」
ここの質問と全く違う答えへの展開は、とても上手いです。
◎いえ、踊りたくなければ踊らなくてもいいのですが、楽園にいて踊りたくない気分でいることはとても難しいのです。
とか、翻訳文体絵本ですよね。
この文体で、物語の可愛さ倍増しにはなったと思います。ただ、逆に、可愛すぎて、戦争をやめるとか、止めに行くとかに全く緊張感が欠けてしまったのでは?
何かを見落としているのかもしれませんが、はいはい、そしてそして。と物語は進んで「戦争」が、可愛いおとぎ話のひとつになってしまったように思えました。
あれ。もしかしたら、それも藍銅さんの思惑なのでしょうか。しかし、さらに、わたしには、あのルゼが殺されたのです。という描写になっても、あまり悲劇として響いてこなかったのです。まあそれも、読み手の勝手でしょう。(こういう文体なのです)
たとえば、自分のベストオブベストは「幸福の王子」なのですが、まさしく「なのです」文体を使っているけど。使っているからこそ、残酷さや悲しさを際立たせることに成功していますよね。
「なんということでしょうか。」は、珍しくない表現かもしれませんが、この使い方、とても気に入りました。
次に使おう。


12.ディスオリエント・エクスプレス(中野)
この列車に乗り込み、時刻表に無い列車、奇妙な一人だけのお客との対話は、夢のような世界として在るのかというと、そうでもなく現実として二人は捉えているかのような描写が、SFとしてもファンタジーとしても奇妙で。まるで「奇妙な世界」の話として読むのか。
と思うのだけど、この主人公らが接する現実の歴史問題が重く、それでいて、この奇妙な夢のような世界を背景としているのが、実作を読むと、とても違和感を感じました。
梗概で好きだったイメージが、何度も夜中の駅に入ってくる列車。の部分なのですが、これが実作を読むと、この二人は、不思議な電車での遭遇の一方で、同じ境界上で平然と資料集めをするのが、納得できませんでした。
優秀な二人だったら、あの逆向きの列車が来る前に、今までの説明からおよそ何の説明であったのか想定できたのでは。とか、それでいて逆向きに来た「不思議な列車」のはずが、そこで下ろされて駅が存在していてるのが、現実とファンタジー的世界の境界線がないかのように流れていったり、牛舎みたいな建物は何だったのだろう。っていう疑問も、気づかなさすぎだろう。と突っこみたくなりました。
◎「彼のシルエットからは細く長い影が伸び、影に影が貼りついているように見えた。」
ワルシャワ・ゲットー蜂起については、きちんと知らなかったので、wikiも読み、勉強になりました。
と、読み進めているうちに、「あ、野良のタイムマシン」というガジェットが出てきたのですね。
これで、前半の二人一緒の行動が説明ついているのか、わからなくなってしまいました。
まさしく、中野さんの文「強引だけどなんとなく納得できる気がします」で、あー。となりました。
そして、最後の一行は、本当に力のある言葉だと思うのですが、果たしてこの実作で効いているのか。わからなくなりました。
この物語は、全く現実の歴史事象なしで、ファンタジーに寄せて書くとそれなりに面白い物語にもなりそうな気がするのですが、中野さんが書きたいのは、本当はそんなとことでもないように思うので、中野さんの書きたいことだけを突き詰めれば、また違う路線の素敵な話になりそうな気がします。


13.生きている方が先(安斉)
梗概を読んだときに、これはSF小説の梗概と言うより、エッセイの要約みたい。と感じた印象が、実作でも、やはりエッセイみたくて、SF度も感じなくて、ここでのヒーローって、何なのだろう。とも思いました。でも意図的かどうかはわかりませんが、エッセイのような文体で、エッセイのような主観の物語は全然ありだと思っています。実際、今作でも「柏手を打った瞬間、タバコのヤニでくすんでいた部屋が一気に明るくなって、空気もきれいになったのがわかった。」は、カタルシスみたいなものを感じられます。
あえて、この実作中のヒーロー的な者のは、「生きているわたしたち」なのでしょうが、そこに拘る必要もなかったのかもしれません。全くSF小説として、読まずに、まとまった「生きている人間のほうが先なんだから」についての文章として、まとまっていると思いました。

 

14.オール・ワールド・イズ・ア・ヒーロー(黒田)
いままで、梗概と実作の感じが全然違うじゃ無いですか。と勝手に感じて、つっかえつっかえ、読んでいたところが、黒田さんのオール・ワールド・イズ・ア・ヒーローは、すんなり一気に読めました。ただ、それがいいのか悪いのかは、わかりません。そして、一番梗概と実作の違うところは、ラストの記述部分。「テビスは視聴者のすべてがAIに代わってしまったことを悟る。」ここが、梗概を読んでいる人には、頭に入っていても、梗概をよんでいない人にとって、実作の、「残響音だけが、街中で響いている気がした。フレーム値は小刻みに揺れていた。」は、かならずしも、梗概の結末と捉えられないと思います。
この梗概の書き方をしなかったのは、ベタな落ちと思ったのか。それより、もっと広い解釈の余地を与えたかったのかもしれませんが、であれば、また違った広がりのある記述にしないと、なにか、もやもや感がある終わり方に感じてしまうように思いました。
それと、梗概で魅力的に感じた「ストーリーが終わればテピスは更新され、新しいストーリーの主人公となる。しかし、ストーリーは常に人間の視聴者の人気度(フレーム)によって監視され、フレームが下がれば次のストーリーでは脇役AIになり、さらにフレームが下がれば、テピス自身が消滅し他のAIに取って代わられる。」という構造であって、実作では、ここら辺のドラマパートが具体的に描かれるのかと思ったのですが、それは、ほとんど描写されなかったのは、枚数の問題なのかもしれませんが、実作が、梗概に少し付け足した全体感。みたいな印象になって、一気に読めてしまったのかもしれません。