感想交換会、梗概分

梗概感想のはじめに
他人が書いた梗概で、完成作品を予想するのは、わたしには、困難というか不可能ではないかと思います。
そして、次第に、自分の中で勝手に考えていることは、実作を書くことを前提とした自分の梗概とは、梗概として完成された梗概であることより、実作を書く自分への「手紙」のような、これで、ちょっと書きたいことを書いてみなさいよ。という自分宛の少しだけ挑発的なメッセージのような。。。あるいは、だらだらとした日常から、違う方向に目を向かせる、遠くに見える誘導灯のような、自分で出かけていって見てきたい物。そんなふうな物が、わたしにとっての自分の梗概なのだと思います。
とかいいつつも、実際は実作を書くときも、一度も梗概を見ないし、梗概を書くのも、大して考えもせずに一気にどこかを見つめて書くだけなので、簡単に言うと、梗概は適当に放り投げた石で、それを実作で拾いに行っているだけなのかもしれません。そして、実はわたしが実作を書きながら思うのは、もちろん自分が楽しめることを前提としても、全編「受け」を狙って、媚びまくって、面白がられたい。はずなのですが、最近は自分の想定外的な空振りをしているだけのような気もしてなりません。
そもそも、SF創作講座においては、梗概と実作を講評してもらう講座なのですが、プロの作家、編集者らに、スルーされ続けるというのは、もしや空振りですらない、三振の連続なのかもしれません。

前回?だったか、大森さんが言われた、「殆ど無駄になる段ボール数箱の各SF予選応募作のエネルギー」というイメージがわたしには、印象深かったのです。まだわたしは、そういう応募をしたことがないのですが、ここで自分の実作をなんとか、無事に10作書き終えて、その全部を印刷しては、自分のエネルギーを見てみたいと思うのです。必需品さんが書かれた「最終まで色んな角度から投げてみる」しかないと思った、9月16日です。

 

1. ヴァーツラフ広場、からくり座、深夜1時27分(渡邉
このタイトル格好いいでえ。藤沢周の「ブエノスアイレス午前0時」のような、もしやタイトルだけで物語は全く関係ない路線かと思ったら、本当にこの通り。なのもまた、格好いい。この格好良さを説明すると、たぶん感覚で、深夜1時27分としたところ。だって、1時27分なんだよ。
物語はシンプルだけど、50枚だとこのくらいの動きで十分に思えた。物語の動きは少なめだけど、ココンとクリードラの気持ちが読む人に伝わると、相当面白い。でも、こういう表現は相当難易度が高い気がする。
たぶん、競争梗概の中での競争力は、高くないのかもしれないけど、好きです。
これは、去って行くココンが主役なのだろうか。
わたしにとって、シュヴァンクマイエルは、不気味、恐い感しかないけど、SFとして育てる物語をどういう幻想風にするのだろうか楽しみです。

2. 外来種(稲田)
面白いショートショート。自分も書くのが恥ずかしいですが、どこかの短編集に載っていてもおかしくないような、ちょっと面白い話でした。と簡単に書くだけでなく、どうして、稲田さんは、こうすんなりとふにおちる物語を書けるのだろうと不思議がる。
この梗概を読んでいる途中までは、「うそっぱちの祠を山田家裏手の空き地に設置しようと計画」して、それが本当になる話で、それだけでも面白いと思っていて、なぜか途中の「謎の影が星路の夢枕に立つ。神社が祀る神を自称する影は「いたずらに信仰心を育てるな」と警告するが、ただの夢だと星路は無視する」
が頭に入らずに読み飛ばしていたので、余計、ラストの落ちが面白いと思ったのです。ただ、わたしが頭に入らなかった部分を、きちんと読んでいるとどうだったのだろう。とか、ここの夢の挿入って必要なのだろうか?とも思いました。宇宙規模の陣取りゲームとすると、この夢への語りかけは奇妙だけど、あまりに陣取りゲームに熱心な宇宙人が、かなりセコい手段で人間に語りかけていると考えると、また面白いのだろうか?
なんでこんなにきれいで読みやすくて面白いのだろう。と自らを反省しつつ、しばらく考えます。

3. ラピスラズリ(中野)
ラピスラズリという言葉を見ると、「宝石の国」を思い出してしまい、いやいやと思うも。およそ、宝石の国に続いているイメージもあったのですが、中野さんはかの「宝石の国」を読んで(見て)いないに違いない。そして、今敢えての百合風味。ただ、「未灰の璃砂への思い」の物語に、海を美しくする話の絡みがよくわからなかった。「もともと汚染地区にいた上、研究で汚染物質を扱う未灰は生殖機能を失っており」これが、まず最初に生殖機能を失わさせて、体を衰えさせるという箇所に、妙にひっかかり、なぜ生殖機能が失うのだろうと考えてしまいました。「汚染物質を安定物質に変換する方法を研究し、海を浄化してかつての美しい色を取り戻す」というのが、イメージとしては綺麗なのですが、この人と人の思いの上に、この海浄化への流れがあるのは、繋がっているのだろうかと思いました。絵として美しいラストは必要です。

4思い出の教室(よよ)
これは、分かりづらかったです。流れはシンプルで、AIが育っていき、働く現場で違和感を感じたので、そのAIを育てた学校が廃校へとなっていく。という所までは、特に変わった点も無い流れだと思います。
そして、男女としか書かれていない二人は、例えば男がロボットで女が人間ではないかと思いますが、この男女が、というたぶん意図的にした不自然な書き方で、へんに男と女二人にヘンさを感じてしまい、もしこれが、落ちだとしたら。あまり落ちていないようにも思います。それは読み違いの可能性も大なのですが、「僕らの可能性を信じてほしいこと。老女はその手紙を火で燃やした。」の最後の二行が、いいことを言っているような気もするのですが、梗概で書かれたこれでは、先生が手紙を燃やすことの流れに、何かが足りないような気がします。

5. ぬっぺっぽうに愛をこめて(藍銅)
これは、鬼太郎だったか、妖怪なんたらだかでみた気がする「ぬっぺふほふ」の姿として読みました。
最後の一段落までは、想定内で書かれかたも上手く物語が進んでいくのですが、最後の段落で、自分の想定外な結末でした。想定外というか、どう解釈したらいいのか。あまりに愛情をこめて育てた、モコのその育て方が強すぎて、父が不老不死になった?その前段落の、最初にモコを預けた薬屋が、内臓をとりにきて喜ぶ。というのは何か特別な意味があるのだろうか?やはり内臓が特別によく育てられていた?そして最後にまた、自分の娘を見て、「子供の愛なんて大したものじゃない。不老不死なんて、そんな馬鹿なことはありえない」というのは、二重否定なのか。そのまんま、自分の娘も大して、愛など持っていないということ?と首をひねったままにして、実作を読みます。

6. 猫じゃなかった!(夢想)
ここで、夢想さんの正面に座って聞きたいのは、マフィンと名付けられたそれは、ひとつではなかったの?ということです。それとも、「マサオは、あれは一体何だ!と問い詰めようと沢村の家に行く。するとそこは数台のパトカーと多くの人達で騒然としていた。沢村は何者かに殺害されていた。」は、沢村の家に着く前にすでに、マフィンが沢村の家に行ったということ?
あと、一行目に「神崎マサオは心の中で同僚の島田への恨みを育てていた。」となっているのに、そこから島田は登場せず、ただ後ろの方で、「島田への復讐はどうすればいい?」と聞かれるだけに留まるというのは、一行目で、島田への復習話のように、始まるけど、実はその前段階で話が終わっているというのがバランス的に不自然に感じました。でも、最後の一段落のような終わり方は正しいと思います。

7. ゾンビを育てる(今野)
これは、その前日まで、SM関係にある中国と宇宙人が次第に宇宙人のMの「良さが」宇宙中に広まり戦争になる。という相変わらずな梗概を書いていたのですが、締め切り日に「一人称のゾンビ」って面白くない?と勝手に自分に語りかけ、その前日に読んだ「悪の華」チックなぼくゾンビの青春変態ものってどうよ?どう?いいんじゃない?と自分に言い聞かせて書かせた物でした。黒田さんに指摘された一人称と三人称の混ざっているところは自分でも不自然に感じました。でも、ハードボイルドの俺や私も本人不在描写ってあるよな。とか勝手に思うも、確かにいろいろ間違っていました。ぼく文体の練習をします。

8. ヒニョラと千夏の共犯関係(品川)
「ヒニョラを家に入れようとする時だけ「入れるな」と叫んだ。」は、わけもなく凄く恐い描写でした。
だけどすぐ下の「気がつくと橙色の光の差すワゴン車の前に導かれており、そこでヒニョラに血を与え小説を読んで過ごした。」の前半部分と、後半部分の繋がりがわからなかった。ワゴン車に導かれると、なぜ?そこで?
また、下の段の「祖母はお焼香の際、ヒニョラに抹香を叩きつける。続けて腕にしていた数珠を、更には近くにあったガムテープを叩きつける。千夏と祖母の暮らしが始まる。」も、ヒニョラを嫌っているらしい祖母という文のすぐ後ろに、千夏と祖母の暮らしが始まる。というのは、え?どうして、それなのに一緒に生活?と思いました。痴呆症だから、たまにの発作だから?
でも、「朝起きた千夏は首周りを掻き毟っている。」で始まる段落は圧巻のホラー文章になっていて、ブラボーでした。最後の一段落は理屈としては意味分からないけど、いや分からないこそ、特別に素晴らしかったです。