SF創作講座全実作感想

はじめに

実作も全部読みました。これは、面白い。この面白みを感じてしまうところは、たとえば、プロ野球を見る面白さと、草野球を見る面白さは、当然選手のレベルは全然違うのだけど、こと見る視点の持ちようにとっては、草野球の方が断然面白いこともある。と書いて、自分で心持ち弱く頷く。そう、たぶんそういうことなのだ。

3期の最優秀賞になられた琴柱遥さんが、同人界隈では褒め合うことで、書き続けるセーフネットになっていた。ゲンロンSF創作講座も、読んでもらえるだけで幸せなのだ。みたいなことを書かれて、「ああ、なるほどなあ」と、思ったのですが、4期の現状について考えるに状況が結構違うように思うのです。3期を見てみると実作の提出が10程度で、半分近い回は10以下であったりすると、ああ、一気に読もうという気になったと思うのです。しかし、4期の20作、高め安定でいくと、この数で全部読もうという気力が無くなりませんか?あるいは、読み通せる作品だけは読み通して、あとは数行読んで、好みで無いと読まない。タイトルだけで読まないという状況もあろうとか思います。いや、それで本当に全く問題ないと思います。

しかし、講座でも実作の殆どは完全スルーされ、ダールグレンラジオでも取り上げられず、最後の最終課題にも落ちてしまうと、4期で言えば殆どの実作作品が、「読んでくれたかもしれない」けど、誰にも触れられずに講座が終わっていくというのは、どうなのだろうとも思うのです。3期ではあったという、もう一つのラジオ番組はきっと、2期の方達がそのように考えられた側面もあったのではないでしょうか。

もしや、当日の講座の後の懇親会が他の実作について感想を言い合っている場であれば、そこでは実作が、本当に存在していたという確証がえられるのかもしれません。しかし諸々の都合で、そういう場に参加できないと、本当は誰にも読まれていなかったのではないのだろうか、とか、この一年は何だったのだろうか、と思いやしないだろうか。と殆ど自分を想定して思うのです。

誰かの小説にあった「それは僕に、段ボール箱にぎっしりと詰め込まれた猿の群れを思わせた。僕はそういった猿たちを一匹ずつ箱から取り出しては丁寧に埃を払い、尻をパンと叩いて草原に放してやった。彼らのその後の行方は知らない」な、わたしは勝手にSF創作講座の実作であるところの猿の尻を叩いてみたくなったのです。

それと、ここまで、物語を三つも書いてみてわかったことは、「書きだせば書きおわる」という発見。わたしはプロットも作れないので、ふらふらと無意識に書くのですが、自分が書いたらしい言葉に「ほー」と思うこともあるのです。それは商品としての小説や、小説でも無い他人の書いた報告書を読んでも、何か文体とは違う、素のコトバの力、個性を感じるのが好きです。たぶん、そういう言葉の作り方や並び方こそ、人、そのものなのではとか思ったり。商品小説であっても、小説という枠組みの物語と違う、ユング的な無意識さで現れる現象に面白みを感じたりするのです。

というわけで

あ。

実作は宇部さんが、既にすばらしくまとめていた。ので、省略します。